象々の素敵な日記 古本屋の日記

象々の素敵な日記

遠くからは何もやって来ません。

その奇妙な塔に閉じこもってわたしは遠くを見ている。遠くから、何かやって来やしないかと思って、ずうっと、長い間、母に買ってもらった双眼鏡で、誰か、何かが、こちらに向かって歩いてくるのを、その最初の影の現れを見逃すまいと、塔の中の、螺旋の上の小さな部屋の窓から、わたしはいつまでも遠くを見ている。時折塔の下からわたしに手を伸ばすものがいるが、わたしはわたしの長く伸びる手で平手打ちをかえす。手を伸ばすものを、払いのける。わたしは、遠くを眺める事に忙しいのだ。塔の下には、そうだ忘れようとしてもいつも誰かがいて、わたしを蔑もうとしたりわたしを愛そうとしたり、わたしを助けようとしたりわたしに助けを求めようとしたり、わたしをの内蔵を貰おうとしたりわたしに心臓を与えようとしたりする。ぞうぞ、ご勝手に。わたしは、塔の回りをうろつく彼らにいつも不機嫌である。わたしは、一瞬たりとも遠くから、目を離す事が出来ないのだから。あまりに長い間遠くを見つめつづけているので、わたしは、遠くからやって来るものを待っているかどうかさへわからなくなってきているのだが、ほんとうは、遠くへと遠ざかってゆく誰か、何かを、いつまでも見送っているのではないか?出会うよりも前にわたしは置き去りにされたのではないか?双眼鏡で遠くを見つめるわたしのすぐ後ろで「寂しくはないか」と云う声がするので「寂しくはない」とわたしは答えて、わからないまま遠くを見ている。
古本屋の日記 2012年2月19日