枚方の、淀川沿いにできた巨大な病院の11階の窓から禁野のほうを眺めれば、こんもりと木の生い茂った小高い丘の上に汗臭い男子高校のオンボロな校舎が見えるはずであったが、そこには、見覚えのない、小奇麗な建物が変わりに突っ立っていて、素知らぬ顔でこちらを見返しているのでした。カトリック系男子高校の、何十年ぶりかの同窓会に、顔を出してみようかという気さへ起こさない馬鹿息子のかわりに一人の老婆が出席してすっかり有名人になった母がいうには、もう教室に十字架はなく、正門を入ったところでいつもボンクラ学生を見下ろしていたマリア像も、どこか隅っこへと追いやられたのだという。「生徒会長も、女の子やで、もう、ぜんぜんちゃうねんで」
ーーイズミヤがあって橋を渡ってやさしいママがいた喫茶店は見えないけれど、たまり場だった近鉄百貨店の屋上に誰も人影がないのを見ると、やっぱり、少し、悲しい気分になります。時は過ぎる、という事を、これほど視覚ではっきり確認したのは久しぶりなような気がします。重戦車のような体格の、いつも怒っていた神父様は何をしているだろうか?大喧嘩をしたきり口をきかなかった保健室のおばちゃん、バタイユの眼球譚やクロウリーのわけの分からん本や本当にいたんだと感動しながらページを捲ったユニコーンの写真集を取り寄せてくれた図書室のおばちゃんは今も学校にいるのだろうか?宮阪から枚方市駅への急カーブをゆっくりと曲がってくる京阪電車の新しい車両を眺めながら、感傷的な気分にどっぷり浸ってしまいそうになったのですが、あの、図書のおばちゃん、案外、美少年好きやってんなあと気づき、さて、わたしはそれほどのものであったかどうか考えてみて、思わず苦笑してしまったのでした。