ボディを透明にするおっさんで有名な愛犬家殺人事件をわりと忠実に辿りながら、壊れた家族の壊れた愛を一切救済することもなく描ききった血まみれの映画です。見終わった後にこれほど見るんじゃなかったと思った映画は今までありませんでした。死体が見つかんなきゃ大丈夫というわけで、都合の悪い人間を毒殺して風呂場で楽しく徹底的にボディを解体してゆくでんでんと黒沢あすかの鼻をつまみたくなるような姿はまあいいとしても、娘も若い後妻もどちらもちゃんと愛する事が出来ずクレイジーな殺人者にずるずると共犯に仕立てられていくだめな父親の、何か希望を感じさせるような逆襲からそれが勘違いだったと知らされるラストまでの粘つく血のねちゃねちゃいう音に貫かれたようなシーンの連続の果てに、やっぱり人間はクソなのだと思い知らされるだけのある意味とても教育的な映画でした。後妻を刺し殺した後自分の娘を包丁でつつきながら「生きるっては痛いんだよ」と何の説得力もなく叫んで頸切って死んだだめなおやじ、を見て、主要な登場人物でただひとり生き残った馬鹿娘が何か生きる事の意味にでも気づいて終わるのかと思ったら「やっと死にやがったか」とかなんとか云って笑いながら死んだおやじを蹴り続けるラストは強烈です。クソの人間の、これも愛の現れなのか、と思ってみますが、やっぱりそれは肯定できません。わたしは、たとえそれが嘘だとしても、いたって一般的な愛の信奉者なのですから。目の前で起きている事を、こんなこともあるんだねえと、簡単には飲下す事の出来ない映像。世界はクソであると目に焼き付いて、なかなか、落ち着いて眠れない、イヤーな気持ちになるNo.1映画です。
夕方、フルカワに、ラーメン屋で飲むビールの代金を、恵んでもらう。世界がクソだとして、わたしは、ありがたくそのクソの500円を握りしめる。
「ビールがないと、そら、味気ないなあ」