人は人の痛みを決して共有することはできないと思う。あの人が苦しんでいるときに、ほらやっぱり僕は、知らぬ間にすやすや寝込んでいる。少し悪い夢を見たことぐらいが、なんともいえない後ろめたさへの言い訳になるくらいでしょうか。あなたが痛んでいる時、わたしは少しも苦しくない。だからせめて、人の、その痛みへの創造力を養わなくてはならない、というのは、わたしの信用しない糞理想主義者の戯れ言でありましょう。
(けれども、痛くも苦しくもないのに時折涙がながれることがあるとすれば、それはやはり、わたしも糞なんとかの仲間であるということの証でしょうか?)
この涙は、何かに違反していると、思う。