わたしの眠りが溶け出し古い家の見る夢とまじり合う。古い家の見る夢の中ではわたしは朽ちかけた柱の根元にとけ込んでこの家をささえている。まもなく訪れる崩壊をまどろみの中で迎えようとしている。眠い。この家とわたしは分ちがたい。人であるとかモノであるとかいう対立をわすれて、わたしはその曖昧模糊とした人と家との蜜月を居心地よく眠る。
そんな、社会生活から遠く隔たった夢の中でいつまでもうとうとしていてはいけません。バンッ、とすごい音を立てて自ら発火し、大正末年生まれで寿命の近づいた湿潤な木造家屋がわたしを外に放り出す。ちゃんと重力を背負って生きなさい。人は地面に垂直に、立って夢見てはいけません。
そんな感じで、なにゆえこうであるのか、という問いに答えてみようとして、自分でもなんだかよくわからなくなる。現実的な解釈ではどうもつまらないので、なにか変わった解釈をと思いましたが、どうも、うまくいかないようです。もう少し、詩的な解釈を考えてみるつもりです。
……。
昼。なにかつかみ所のない非常に不条理な時空で小一時間を過ごし暗澹とした気持ちになる。
けれども今日一日、沢山の人の温情に触れる。
すぐにお礼を言えない人がいます。ありがとう。