病院の待合室で諸橋轍次「荘子物語」のページをパラパラ捲っていて「尺八」というに言葉に出くわし目が止まる。つい先日、厚生くんモデルナくんに向かって尺八なんぞはそんなに古い歴史のあるものではないよ、日本ではよくって江戸時代、一般に広まったのは明治以降、などと毎度あやふやな講釈をたれていたのですが、さて、荘子の文中に「尺八」とあるからには、そりゃあ、なんか、紀元前が起源なくらいなのかこりゃまたまたやってしまったなと少々凹み。まあ、くだけた訳文にそうあるだけで原文では「比竹」とあり、これは尺八そのものというよりもどうも曖昧に「竹笛のたぐい」というような意味らしいのですが、先生が尺八と訳すくらいだからあるいはその原型となるものなのかもしれません。ほんで、ちょっと気になって、本を横に放って、植木に近い発音のネット上の辞典のようなもので「尺八」を調べてみると、古くないどころか7、8世紀頃には雅楽の楽器として中国から伝来し云々の記述が……。うーん。まあ、詳細はそちらで確認していただければよいと思いますが、要するに、照れながら、間違ったことをさも本当らしく話して聞かせてしまった厚生くんモデルナくんに、ほんとうは、尺八は、割と古くからあるもので、一時的な空白期衰退期など歴史の野を越え山を越え、今日の日本に伝わる立派な伝統楽器であります、と云うことをお伝えしたいと思い、恥ずかしながらパソコンのキーを叩いている次第であります。
考えるに、お客様から尺八に関するお話を伺った時に、今ある尺八の諸流派の起源はそんなに古くない(有名な都山流などは明治ごろから)と云う話を聞いて勝手に拡大解釈してしまい、尺八そのものがそんなに古いものではないという間違った認識を自分で脳に植え込み、そんでしまいには無垢な?古本青年諸子にデタラメの講釈をするにいたった、という、まあ、分析してもしゃあないようなお話。
それからわたしは、いろんな話を十倍には脹らまして話したりましませんが、微妙に、1、2〜1、5倍くらいに脹らまして話すことがあることも、ついでにご報告しておきます。
しゃべってもしゃべっても間違い。
……。
その間違いの訂正に生きる時間のほとんどを費やす男の物語。