午前中。突然の別離を、見送る。
それから、
豊書会へ。今日は、市場へ本を見に行く、というよりも、数日前の深夜に、酔って日本橋一丁目の交差点で別れた山ちゃんの、無事な姿を確認する為に……。ボルヘスの、美しい散文詩のような事になってやしないかと、気にかかっていたので。
酔ってふらふらしながら、山ちゃんは道の向こうに、わたしはこちらに残った。車の光が尾を引いて、夜の川をこちらと向こうに分けた。
「さいなら、気ぃつけて」
「さいなら」
……。
さよならを口にするのは、別離を否定すること、すなわち「今日は別れる振りをしても、どうせ、明日また会うのだ」と言うことだ。人間が別れのことばを思いついたのは、偶然に授かった、はかない命と思いつつも、やはり何らかの意味で、自分は不死の存在だと知っているからなのだ。
デリアよ、どこかの川のほとりで、いつか、このあやふやな会話の続きをしたいものだ。平原に呑まれてしまいそうな都会のなかで、かつて二人がボルヘスとデリアであったのかどうか、そのことをお互い確かめあうことにしよう。ボルヘス「デリア・エレーナ・サン・マルコ」鼓直訳