テレビ好きワイドショー好きスキャンダル好きのわたしの一日は花子とアンではじまり飛鳥涼で終わりそうです。CHAGE&ASUKAにとくに深い思い入れなどはありませんが、花子やアンの無限とも思える想像力にくらべると、ビックアーティストのそれは案外早くに枯渇してしまったようです。人を喜ばす想像の翼よりも、自らの小さく奇妙な快楽世界に閉じこもっている事のほうがより魅力的な生のあり方であるかもしれない、たとえ世界から追放されるとしてもーーとは、誰も云っておりませんでしたが……どうなのでしょうか?
改めて、人が、人として生きる事のできる領域は狭いのだと、思い知りました。その狭さの中で、澄まし顔で(それぞれの小さくいびつな世界を封殺しながら……)日本に暮らすわたしたちは清潔に整備された道を立派な御影石でできた墓場までてくてく歩いてゆくわけなのですが、そんな嘘っぱちに耐えることも、シャブ打ってわけの分からん事している奴と同じくらいおかしなことなのだと、今日はビール一本だけの正しき象々は思うのです。またいつか、この狭い世界に許されてポン中は何事もなかったかのように歌い始めるでしょうね。そんな歌、聞くに堪えない。追放を追放のまま生き抜く奴は、何処かにおらんのかいな……。腐って身体がドロリと溶けてなくなっても、目ん玉だけは溶けた自分を見て笑っているような……。