本日は、人が日々なにげなく話している言葉の数々がやはりどれほど魔術的な力を持っているのかとういことを考えて過ごしました。アホと云えば、アホが生まれる。アホを貶せばきりがない、アホの属性が言葉の中でどんどん増殖してもうあんたアホボケカスシネとなります、な。また別に、アホがアホの美学を語ればそれをやんやと囃し立てる馬鹿もおり、アホにもアホなりのええかっこがあると褒めたりする訳です。つまるところ、ほんとうはアホなんていなくて、幻の鱗をぼろりと剥がせば、足下にアホと云う言葉、そのそばにただヌボーットつっ立った人間がおるわけで、酒毒に犯された脳味噌でうとうと考えるとそこに、大げさにも詩学のアホらしい出発点があるように思われたりもするのです。名付けられる前はなんであったのか?名付けるとはなんなのか?名付けられた肉体はなんなのか?わたしはいったいだれなのか?なにを、話そうと云うのか?
アホめが、と、時々云われます。
古本屋の日記 2013年2月11日