貴族の称号を持つ英国婦人が先祖の肖像画を売ろうとしていた。デュヴィーンが希望の値段を尋ねると、おどおどと一万八000ポンドという答えが返ってくる。これを聞いて憤慨したしたデュヴィーンは「何ですって!こんなに立派な作品が一万八000ポンドだと言うんですか!馬鹿げてますぞ、あなた、それは馬鹿げている」デュヴィーンは早速その絵を褒めちぎりはじめ、その様子はどうみても絵を買おうとしているというよりは、お客に売りこもうとしているようだった。また実際、その時すでにデュヴィーンの胸の内には売り先のあてがあったのである。さらに、値切るべき側が値をつり上げるという奇妙な交渉が続けられた。とうとう持ち主がデュヴィーンに絵の価値はどのくらいかとたずねる。デュヴィーンはその時すでにアメリカ人の顧客に対する売値を決めていて、しかもその価格たるやわずか一万八000ポンドで購入した絵画にはとても良心の痛みなくしてはつけられないようなものであったので、婦人を咎めるような調子で「あなた、この絵ならどう安く見積もっても二万五000ポンド以下で手放す手はありません」と叫んだ。デュヴィーンの熱中ぶりにすっかりほだされた貴婦人が黙って取引に応じたことは言うまでもない。
(画商デュヴィーンの優雅な商売 S・N・バーマン著 木下哲夫訳)
最高のモノを、だれも及ばないような最高の値段で購入し、さらにそれを最高の顧客に最高の値段で売る、というのは、画商に限らず、わたしたち古本屋や、さまざまなジャンルの古物商、古美術商の誰もが夢見る最高の商いのスタイルだと思われます。老松町で、一見隙のなさそうな高価な値段が付いた小さな茶碗ひとつを買って、それを風呂敷に包んで新幹線に乗り、東京のなんとかいう会社の社長にぱっと売ってぱっと帰ってきて、夜には太政でてっちり食いながら次の商いの算段をするーーなんて嘘か真かわからないような話を道具屋さんに聞かされ、いつかワタシもそんな目利き一本腕一本で商えたらええなと思っていたのですが、知らぬ間に、古本屋の、泥んこの日常にそのような憧れを忘れ、最高の値段で買うのはやぶさかではありませんが(マジっす)、最高の値段で売る自信の方はどっかへ置いてけぼりとなりつつあり、今日も、アマゾンよりは少し安めに値段設定した本をホームページにアップいたしました。これでは、儲からん。今日から、眠る前に、富豪さま富豪さまと、宛のない念を、送ってみようかと思って、さて、どのような指の組み方をしようかと、いろいろ試している所です。