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このように、社会の「ズルズルベッタリ」な拡がりに対抗しようとする主体的な思想は、その先駆をすでに明治末期の自然主義文学に持っていた。「宇宙にわれ唯一人あり、共同は妥協だという心持」を抱いて「普通の悲哀を強いて噛殺して了ふ」精神は(田山花袋 東京の三十年)、むしろ福本イズム以上に、純粋に日本社会の原理そのものに対決していた。田山は、当時の日本の文筆世界を支配していた硯友社が、非人格的な規約によって拘束され運営されるような集団としてでなく、もっぱら尾崎紅葉のもとにパースナルに結びついた日本的結社として存在していたことに対して、「妥協的で、外交的で、乃至朋党で『群』としての境にとどま」るものであることを衝いていた。彼によれば、そのような社会結合の原理のもとでは「友人・門下生の情」などはすべてそれらの「群」の「単なる儀式」としての意味しかもっていないのだ。彼は、紅葉の葬式に参列した友人や弟子が泣いているのを見てそのことを痛感した。したがって、人間の感情を復活させるためには、こうした<共感>を排除して、自分だけの<実感>を探し求めなければならぬ。「真」の感性は「普通」の感情を噛殺し、取り去った後にあらわれ出るかも知れないものである。ここに、感情を事実によって否定的に媒介しようとする、自然主義の方法論が生まれたのではないだろうか。つまり自然主義作家は、「普通の」感情を表現しないで「事実」だけを書くことによって逆に「真」の感情をよび起こす術を知ったのである。
……。藤田省三著作集2 転向の思想史的研究
という文章を読んで、田山花袋の「東京の三十年」読みたくなり、夕方、チャリでキコキコ、岩波文庫を買いに「お笑い」横の大型書店へ。
その時分、私の胸には、個人主義が深く底から目を覚ましていた。宇宙にわれ唯一人あり、共同は妥協だという心持ちや、普通の悲哀を強いて噛殺してしまうような新しい思潮や、乃至は自然主義的思想が、外国の書物を透していつとなく私の中心を動かしていた。私は紅葉の葬儀に列しながら、こう心の中に叫んだ。「かかる盛大な儀式、世間の同情、乃至義理人情から起こる哀傷、また朋党、友人、門下生などに見る悲哀、そういうものは新しい思想から見て、なんであろう?旧道徳のあらわれの単なる儀式ではないか。むしろこの盛んな葬礼よりも、まごころの友の二、三によって送らるる方が、かれのために美しくもありまた意味もありはしないか。こうした外形的、聾断的勢力は、もはや新しい思潮の世界には起こらぬであろう。こうした大名か華族のような葬式をする文学者は、かれ紅葉をもって終わりとするだろう。友人の情、門下生の義理、そういうものに、我々は既にあまりに長く捉えられて来た。普通道徳に拘束されすぎて来た。これからは、我々は我々の「個人」にいきなければならない」こう思った私の眼からは、払っても払っても尽きない涙が流れた。
その後、私は度々一人でかれの墓を詣でた。ある日は野菊を途中の草原で折って行ってそれを手向けた。兵営の射垜では、射撃の演習の音が聞こえて、晴れた秋の空に白い雲が淋しく流れた。
キコキコ。
キコキコ。