玄は形ある万物によって「有」となり、静寂に身を託するときは「無」となる。下に沈めば幽冥界深くひそみ、上に浮けば北極星をもしのぐ。金石もその剛さには比べられず、落ちる露もその柔らかさには及ばない。四角いようで定規にはかからず、円いようでぶんまわしにははまらない。来ても見えず、去れば追いつけない。
天はこの玄によって高く、地はこれによって低い。雲はこれによって飛び、雨はこれによって降る。玄は唯一実在を内に孕み、それが陰陽の範疇として展開する。その呼吸は生命の源、鍛冶屋の鞴と同様、億万の物を鋳出す。二十八宿を天にめぐらせ、最初の世界を造りなす。時間という神秘な機械に鞭打ち、四季の気を呼吸とする。隠れているときは虚無静寂、ひろがるときは粲然たる文を現す。大河の流れを酌んでは、濁りを抑え清い波を揚げる。ふやしても溢れることはなく、そこからいくら汲み取ってもなくなりはしない。何かを与えられても有難がらず、何かを奪われても悲しまない。だから玄がここにあれば、その楽しみは無窮。玄がなくなれば、肉体は崩れ、精神は飛び去る。
(平凡社 中国古典文学大系 抱朴子 列仙伝 神仙伝 山海経より 抱朴子 巻一 暢玄ーー玄の意味を敷衍するーー本田済 訳)
とまあ、そんな訳です。なるほど、そうであったか。大きくも、小さくもある訳です。厚生君。