雨の季節。我あばら屋にさまざまな蟲ども、蠢動しはじめる季節。
トイレの蓋をあければ得体の知れない羽虫がわんさか詰まっていそうな気がしてその一瞬寿命が縮まる思いでえいと中をのぞき込めばただ真白き便器に水。わたしの後ろでなにかかさかさ移動する者共の音。振り返るけれど姿は見えない。床、土間、あらゆる隅っこに黒い影が走る。梅雨の晴れ間、地面から立ち上る水蒸気の幻それとも現の小虫。けれどそれはまだ人間の領域で家から外へ掘建て小屋のように突き出した風呂場、あの、湿気と薄暗がりの王国には、もうあらゆる種類の人間の感性では許容できないフォルムの蟲蟲が蠢く、ような気がして、容易に足を踏み入れる事が出来ない。もし、裸の時に赤黒い醜い針で刺されでもしたらどうなるのか。扉を開ける。飛ぶもの、飛ばないものたちが一斉に姿を隠す。わたしは日野日出志の漫画の主人公よろしく目をどんぐりと開けてあたりの気配を伺いそおっと中をのぞき込む。昭和30年代の薄暗い電球の黒いオレンジ色の夜のような空間の向こうにぽっかりと口を開けた浴槽の排水溝を伝ってなにか長いものが上って来やしないかと不安。がたがたの柱の隙間を蟻のようで蟻でないもっと凶暴なありえない黒い小さな蟲が不定形でありながら甲虫なみの強固な外殻をもちやがて全てを食いつくしわたしに向かって建物が崩壊してくる隠れている蟲蟲飛ばないもの飛ぶもの這うもの影と湿気を食らうもの数億の黒いドット咬むもの血中を遡るものが一斉に腐った材木の崩壊をよろこんで沸き上がるわたしは蟲に蝕まれる前にそんな怖い思いをするくらいならいっそ家の堅い土間の隅っこで一匹の蛹のような毒蟲になってしまいたいと思うのでした。