昨夜の古本屋飲み会での乱暴な云い方を反省しながら玄関をでると、斜め向かいのビルから三日前に乱暴極まりない言葉を吐き散らしてしまった相手の方がひょっこり出て来たので思わずびびって家に引き返そうとしたのですが、どうせ近所いつかは必ず顔を合わせるのだからと思い切り、正直素直な心で頭を下げると笑いながら許してくれました。わたしは、わたしのせいで随分と居心地悪く暮らしている。わたしはわたしに迷惑している。そもそもわたしは自分が正しい事を話しているなんて少しも思わないわけで、云われたら云い返す、最初は何だか考えもあるのでしょが段々に激昂してくると言葉がどんどんおかしな方へ走り出し、云い返すことにもう夢中、もう正しいか正しくないかなんて解らない、云われたら二倍云い返す三倍云い返す、どんどん云い返す勝手に喋りやがる馬鹿、止めろ、と思ってもやめない馬鹿にわたしはほとほと飽きれもし、疲れもし……。などと考え考え歩いていると向こうの曲がり角から一週間前に暴言を吐いてしまった相手の方の姿がひょっこり現れ。
……。
ドーナツ牧場への道を歩く友人へ、手紙の代わりに。
「無論私は其の時も、自ら身を労せずして、徒らに人の厚意をのみ当てに、生活しようとする自分の心情に対しては、泣くにも泣けないようなさもしさ悲しさを感じた。終いには、自分で自分を蹴殺してしまいたいと思うほど憤りをも覚えた。が同時に、無知無能な上に、極度の貧乏人に生まれついている私は、今暫く、自分を守って行けるだけの力を獲得するまでは、其の卑醜さ、その慚愧さを忍ばなければならぬと云う考えに制せられ、其の癖、蛇に見込まれている蛙のように、顫えがちな心を抱きしめながら、とにかく出掛けることにした」
藤澤清造〜根津権現裏より