書籍情報
- 書籍名
- 見続ける涯に火が... 批評集成1965-1977
- 著者
- 中平卓馬, 編:八角聡仁, 石塚雅人, ブックデザイン:服部一成
- 発行年
- 2007年 初版
- 出版社
- オシリス
- 状態
- ハードカバー・帯付、カバーシミ・汚れ
- サイズ
- 約195×135×40mm
- 備考
- 510ページ
- 価格
- 売り切れました
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中平卓馬の1965年から1977年までの評論をまとめた一冊
本書は、写真家 中平卓馬の1965年から1977年の間に発表された中から、主要な評論を選び再編集した批評集成。
激動を続ける社会の中で揺れ動く、中平卓馬の思考と一貫する姿勢が伺える。
表紙(カバー外した)、見返しには近年撮影された中平卓馬の作品を掲載。
ブックデザインは服部一成。
カバーを外した表紙・裏表紙↓
<目次>
Ⅰ 同時代的であるとはなにか 1965-1970
映像は論理である ー東松照明とグラフジャーナリズムの現在
不動の視点の崩壊 ーウィリアム・クライン『ニューヨーク』からの発想
狂気の美学のパラドクス ー細江英公写真展「とてつもなく悲劇的な喜劇」
写真にとって表現とは何か ー「写真100年 日本人による写真表現の歴史」展
物質的基盤を失った言葉 ー写真展の流行とその背景
編集後記 ー『プロヴォーグ』一号
リアリティ復権
証拠物件
同時代的であるとはなにか?
言葉を支える沈黙
物の影の底にあるもの
Ⅱ イメージからの脱出 1970-1971
写真は言葉を挑発しえたか
映画はドキュメンタリーである
グラフィズム幻想論
風景への叛乱 ー見続ける涯に火が…
血ではなく、赤い絵の具です ージャン=リュック・ゴダール『中国女』
作品は現実の一部である ージャン=リュック・ゴダール「東風』
作品の背後になんかゴダールはいるはずもない
映像の匿名性と党派性 ージャン=リュック・ゴダール『イタリアにおける闘争』
イメージからの脱出
日付と場所からの発想
Ⅲ 記録という幻影 1971-1973
モロッコ、絵はがきの風景
現代芸術の疲弊 ー第七回パリ青年ビエンナーレに参加して
写真、一日限りのアクチュアリティ
制度としての視覚からの逸脱は可能か
日本の現実を凝視する視線の両義性 ー東松照明『I am a king』
記録という幻影 ードキュメントからモニュメントへ
複製時代の「表現」とはなにか ー「マッド・アマノ=白川義員裁判」をめぐって
日本的なるものとジャーナリズム的なるもの
写真家いかに食うか、食うべきか ーまずみずからをエピソードと化せ!
Ⅳ なぜ、植物図鑑か 1973-1975
なぜ、植物図鑑か
近況 ーそれからそれから波高し
まったくのゆきあたりばったり ー私の読書
ユジェーヌ・アッジェ ー都市への視線あるいは都市からの視線
客観性という悪しき幻想 ー松永優事件を考える
とりあずは肉眼レフで
わが肉眼レフ ー1974・沖縄・夏
なにげない視線、やわらかな息づかい ー『木村伊兵衛写真集 パリ』
写真による写真批評 ー篠山紀信『晴れた日』
沈黙中にうずくまる事物 ーウォーカー・エヴァンズにふれて
歴史への意志 ーシュルレアリスムの潜在的な力
「第三世界」と世紀末の映像
Ⅴ 視線のつきる涯 1976-1977
奄美 ー波と墓と花、そして太陽
身振りとしての映像 ーブレボケは様式ではなかった
旅を拒みE線上のアリアを唄おう
視線のつきる涯
個の解体・個性の超克
篠山紀信論
街路
先制の一撃 ー見ることと読むこと
インターリュード
編者あとがき
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ウィリアム・クライン WLLIAM KLEIN: IN & OUT OF FASHION | 写真集
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