象々の素敵な日記 古本屋の日記

象々の素敵な日記

泡の言葉は瓶詰めにできない、ということに関する書きかけの文章。

雨の降る周期がだんだん短くなる。乾燥した空気が少しづつ湿気をおびて柔らかくなってくる。もう少しすれば雨ばかりの日々が訪れて、人々はその季節だけの、水の言語を話すだろう。意味ではなくぷかぷかと浮かぶ泡としての言葉。ほんとうであるとか嘘であるとか束の間忘れる淡い会話。たとえば、声は聞こえなくてもわたしはあなたのことがよく理解できるよなんて、そんな偽りも、泡の言葉でなら許されるだろう。文字は、もちろんすぐに水に流れて形にはならない。これは、昔、変な詩人のおじさんに教えてもらった話。水の季節には、だから、優しい気持ちにはなっても詩を書く事が出来ない。文字は、悲しく、乾いているものだから。水の言語は眠りに似ているし愛にも似ている。けれども、そのいずれでもないだろう。やがてまた季節は移り泡の言葉は晴れた空の下で割れるだろう。そうだ。君の声は聞こえるのに僕は少しも君を理解しない。まだ雨がやまないうちに
古本屋の日記 2012年3月2日