真央ちゃんを、思う。
近所のお好み焼き屋で、フィギュアスケートの四大陸選手権を観戦する。浅田真央選手は残念ながら2位でありましたが、今季、ずっと回避してきたトリプルアクセルにチャレンジし(回転不足の判定だったようですが)、きれいに着氷できたことはわれわれ「まおた」を喜ばせるに足る演技であったと思います。そもそも、わたしが思うに、試合での浅田真央の順位などというものはもはや何の意味もないことなので、誰に負けようが勝とうが、関係ないことなのです(やっぱり悔しいですが)。2010年の世界選手権での「鐘」の演技によって、浅田真央は、フィギュアスケートの歴史の上に偉大な金字塔を打ち立てたのであり、スポーツだとか美だとかいったものをはるかに超越したもっと複雑な表現の可能性を、フィギュアの世界で示したのです。最高難度の技と、最高度に難解な音楽解釈を、わずか4分間のフリースケーティングで表現しえたのは、浅田真央ただ一人であると、わたしは思って、興奮すると(オリンピックで負けた事も思い出して)、涙が出てくるのです。まったきかなまったきかな。昨シーズンの不調から、少しずつに浮上しつつある今シーズン、軽くなる水圧に徐々に身体をならしなから、より軽やかな舞を求めて、浅田真央は浅田真央自身と闘うのです。「愛の夢」のラストの、あのやわらかなプチスパイラルは、その戦いをやさしく宣言する、乙女の、宣戦布告なのです。
古本屋の日記 2012年2月12日