この果てもない蔵書の森を、黙々と歩み続けたその人の思考の流れを微かに感じながら本を括り続けるのですが、結局のところ、わたしはただ本を売る人なだけで、なにも、学ぶことはできない。まるで古武道のような鋭さをもった読書の痕跡を残念がるよりは、あっぱれだと、ひとり光速の結束をかけながら、静かな書斎の、わたしの心の中が、なんだかすごくドキドキして来るのは何故だろうか?こんなにも読める人がいるのだ。読書家と呼ばれる人はたくさん見たけれど、こんなにも、まるで肉体を鍛えるように読める人がいるのだ。
会うことのないその人へ、知ることの不可能性に挑み続けた彼岸の人へ、何か言葉をかけたい気持ちになるけれど何も、言葉は、思い浮かばない。もう、言葉は、沢山だろうしね。ただ、やはり、解らなかっただろうね……そうだ、古本屋は果てもない蔵書の森を括りながら、読み続けることの結末を、なにも読まないままに知ってしまう、なんだか間の抜けた生き物なのだ。解らなかっただろうと、想像してみる……先生は解らなかったに違いない、そう、わからない、わからなかった……。だから間抜けのわたしはこうして黙々と先生の残した書物を括り続け、解らなさに挑み続けることを想像しながらせめてまた解ろうとする人のもとへ、なぞなぞ好きのスフィンクスの贈り物を届けようと思うのだ。