旧帝国陸軍における無謀で杜撰な作戦指導の代表のようなインパール作戦を立案・強行し、後に白骨街道とも靖国街道とも呼ばれることになる密林の山道を切り開いた??牟田口廉也の、盧溝橋事件当時の姿。
日刊時事写真昭和十二年七月十三日 抜刀敵陣に斬込んだ牟田口隊長
「協定を無視龍王廟に来襲せし暴戻あくなき支那兵に応戦した東北健児は奮戦敵を撃退したが我が牟田口隊長は率先自ら大刀を真向に敵陣に斬り入った」
約七年後。インパール作戦中止時の訓示。
「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」(資料が手元にありませんのでウィキからの孫引。出典は「ドキュメント太平洋戦争 4 責任なき戦場』 角川書店」のようです。
戦うのせよ戦わないにせよ、このような軍人がいたこと憶えておくのは無意味な事ではないと思います。今もなお、雨降り止まぬ密林の道なき道を、帰還かなわぬボロボロの皇軍兵士が行軍し続けている、というのは、果たして奥泉光の小説の中だけのイメージでしょうか?