数日前、ふいに、おはらぴょんのことを思い出し、それから、なんでか、何をするにも頭の隅にぴょんの姿が、見え隠れして、素知らぬ顔をして今を生きていても、どうしてか、こころが、切ない。
卒業を半年後に控えたある日、同棲を解消したおはらぴょんの荷物を大学の寮に放り込み、それから、どうだったか、彼女の、まりさんの、世帯道具を、何処かへ、わたしがトラックに積んで、遠くの町に運んで、夜、ぴょんと野村寮のお風呂に一緒に入って、言葉もなく、お湯に、半分だけ、これ以上ないくらいに力が抜けた身体を浸したおはらぴょんが、どこかここでないところをじっと見つめているのを、わたしは、いまと同じように素知らぬ顔をして見つめていたのです。
その夜、何を話したのか、まったく憶えてはいないし、あるいは、そのまま何も話さなかったかもしれない。
翌朝、帰り際に、ここは狭いからと、バイト代替わりに新潮社の日本詩人全集をわたしに持たして、静かに寮の部屋の扉を閉めた。それが、わたしには、もうぼくは詩なんて読まないからと、云っているように聞こえて、なんだか寂しい思いで、本を抱え、しばらく扉の外に立っていました。
今、市場では、その詩人全集はぜんぜん値段が立たないので、きっと、あちこちで、埃をかむったまま放置されていて、だれも、ページを開く者もいないのに違いありません。ぴょんにもらったその本も、いつのまにか何処かへ消えて、ふと思い出すまで、その存在すら、忘れていたのです。