今日買った本がすぐに売れなくては食べてゆけない、というのでは、その古本屋さんはうまくいっているとは言えないでしょう。今日買った本が、いつ売れても、いつも売れなくても、まあ、かまわないのです。古本は、いつか売れる時がくるまで売れないものだ。そういう覚悟を持って、今日本を買う。そして買ったことをすっかり忘れてしまった頃に、ようやく売れてゆく。それで、かろうじて、今日のご飯が食べられる。それで、良いのです。
5年後でも、10年後でも、できれば死ぬまでに売れてくれると嬉しいけれど、それが無理ならしょうがない。後継がいればその後継が売ってくれればいい。後継のまた後継が売ってくれてもいい。人の生きる時間よりも本の生きる時間の方が遥かに長い。今日つまらないと思ってほったらかしにした本がいつか面白くなることもある。今日知ったふうな顔して値付けしている自分も、いつかいなくなってしまう。死んじゃえば、生きていた時に付けた値段が恥ずかしくなるだろうね。多くの古本屋が、多分、そうに違いない。なんじゃそりゃ?さっさと売ってうまいモノでも食べたら。象々さん、そんなに高い値段を付けずに、今日売れそうな値段をつければいいんちゃう?不思議と、安くつければどこからか人がやってきて、これまた知ったふうな顔をして買っていくものだ。死んだら、元も子もなくなる。残してあげる子もいない。売れなくてもいいさと痩せ我慢せずに、今日買った本をすぐに売ろうよ。
いやいや、せっかく買った本が今日すぐ売れてしまったらそれは寂しい。商売だけど、本が金に変わってしまうのは、なんだか悲しい。儲かっても、ひどく損をした気分だ。お客さんに目利き負けしたような気もする。まあ、お客さんの方が詳しいに決まっているけれど、闘いじゃないけど、負けた感、それはやっぱり悔しい。
そうして倉庫が一つ増え二つ増え、住んでるマンションの部屋が一つ塞がり二つ塞がり、廊下もだんだん歩きにくくなる。夜、トイレに行く時本に蹴躓く。読もうと思う本が増え続けて、それがなんだか生きることに対する無力感絶望感を増幅させる。本で生きているはずが、本によって、日々、暮らしにくくなる。本に圧迫されて、ストレスで早死にするかもしれない。自分の思いに包囲されて、窒息死するかもしれない。
バイトも含めて古本屋で30年近く。ようやくご飯が食べれるくらいの本がたまってきたか?そんな思いをしてまで増やし続けた本も、死んでしまえば市場で叩き売られてしまうだろうね。映画麻雀放浪記の最後、九連宝燈をあがって死んだ出目徳と、「負けたやつは裸になるって決まってるんだ」と出目徳の身包み剥ぐドサ健を思い出します。お店も、倉庫も、マンションも、厚生くんが何人か連れて、ものの1日2日で括ってしまうだろうね。値札もついたまま、僕の本が振り台に乗っかって、まさに身包み剥ぐように売られてゆくんだろうね。なんだか恥ずかしいなあ、おいおい発句が千円かよ、それはまあまあいい本だよ。何?三千円?僕なら二万円はつけるけどなあ?もう少しなんとかならないかなあ?まあ、死ぬまで売れなかったんだけどね。おいおいまた千円からかよ。もう少しなんとかならないかなあ?まあ、死んだし、売り切りだよね。残ってもこまるし。死ぬまで売れなかったんだから。もうなんぼでもええかあ。もうなんぼでもええわあ。
それでようやく、綺麗さっぱり、片付くんだろうね。
綺麗さっぱり、思いも、金も、何にもない。
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