象々の素敵な日記 古本屋の日記

象々の素敵な日記

真夏の、読書。

マルクス サルトル

冷房の効いた部屋はわりとかための本を読むのに適しています。昨夜は真夜中の三時頃に目が覚めて、1994年太田出版刊の新訳共産主義者宣言(旧来の訳では共産党宣言)を朝までに読み切ってしまいました。とはいっても、何かを理解したわけではありません。ただ印刷されている文字を端から端まで読み切ったという事です。生駒山の麓で買い求めた2010年人文書院刊の新訳の嘔吐は、まだ十数ページ目。20代の時の朧げな記憶によると、随分と退屈だったような気がするのですが、果たして読み終える事が出来るでしょうか?はらぱらと、飛ばし読み。「ごく平凡な出来事が冒険になるためには、それを物語はじめることが必要であり、またそれだけで充分である。人々はこのことに騙されている。というのも、ひとりの人間は常に話を語る人で、自分の話や他人の話に取りまかれて生きており、自分に起こるすべてのことをそうした話を通して見ているからだ。そのために彼は自分の生を、まるで物語るように生きようとするのである。しかし選ばなくてはならない。生きるか、物語るかだ」(鈴木道彦訳)。うむ。おもしろそうであり、退屈そうでもある。ほかに、市場で買ったぼろいカフカ全集。審判を途中まで読みさし。園子温「恋の罪」の中で同じ版の城が印象深く使われているのをみて思い出しました。太宰はんは、おじさんには少々甘めなので、挫折。結局、何も読まないのと一緒のような気がする。集中力と、理解力に欠けているので。
古本屋の日記 2012年7月19日