ひさびさに戦前の新青年を読んで、やっぱり竹中英太郎の挿絵はええなあと思い、これまでに象々であつかった英太郎の珍品のことなどを思い出して安く売り過ぎたかなあと後悔したりもう目の前にはない長いキセルで阿片をぷかりと吹かしている満州美人の横顔を恋しく思い浮かべたりして数日暮らしていると、ふいに、市場で、なんでもないフリの荷物から「百怪、我ガ腸二入ル」が出て来て思わず`きょうび高すぎるで`と云う値段を叫んでしまう。
1995年。プチ異臭騒ぎが東京近郊でたびたび起こってなんだか騒然とした時代の雰囲気の中ほぼスキンヘッドの痩せた男であった`ナカシ`は横浜駅の近くでよく職質されていたなあと思い、なんだか怠いような懐かしいような腹立たしいような気持ちで「巨星逝く 悲劇の天才科学者 村井秀夫」という本と偽の予言者の肉声テープのセットを市場で落札する。読んで聞いてどうすんねんと思いながら家に持って帰ると玄さんにまたこんなもん買うてきてと叱られてしょんぼりテレビを見ているとなんと26日にNHKであの事件の詳細な検証番組が放送されるというのでびっくり。必ず見るぞと思いながらベットの横の山積みの本の中から適当に選んで読み始めた「仙界とポルノグラフィー」という中野美代子のエッセイの冒頭は、鸚鵡と世界地図を巡る興味深い考察でありました。
何かに導かれて本に出会っているのではないかとふと後ろを振り返るけれども誰もいない。古本屋は偶然を必然と感じながら飛び石伝いにさてどこへ行こうとしているのか?一つ飛べばまた一つ上手く渡れそうな石があって、また古本があって、ぴょんぴょんと飛び跳ねてゆくうち導かれるままにどこへ辿り着くのかと云えばもとの場所。素晴らしいものも素晴らしくないものも、全て過ぎ去る。全て、消えてゆく。