象々の素敵な日記 古本屋の日記

象々の素敵な日記

だいじょぶだ。

昨日は鬱々とした気分のまま夜を迎えそのままひとり園子温の「愛のむきだし」を観る。全編泣ける。鬱を、あっさりと忘れる。あまりにわたし好みの映画だったので、2回、続けて観る。朝まで。満島ひかる(ひかり、の、間違いでした。3、30訂正)は素晴らしい。白いパンチらと、コリント13章。盗撮王も、新興宗教の女も、皆よいのです。長い映画ですのでどやこやあまり云うと長くなりますが、ラストの、パトカーのガラスを破って差し出される人の手、それを握り返す手、人間が持っている愛の能力は、壊れていそうで壊れていないのだというか壊れていても愛は不滅なのだと云うことを納得させてくれる素晴らしい映画であると思いましたが、どうでしょうか?手のモチーフは、ゴダールのヌーベルバーグ(アラン・ドロンのやつね)からかなあとも思いますが、まあ、それは、穿ち過ぎかもしれません。

 

今日は金曜クラブの市場の準備。その後、みなで厚生君の店をひやかして、うまうまで、飲む。遠くに旅する`み兄`から電話。暗いブログが多いので心配しているという。大丈夫でございます。わたしは、明るい。暗い場所でも、目が見えるのだ。兄、あっちの明るく見える世界の方が暗いよ。ほんとうに。

 

コリントの信徒への手紙 一 13章

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、 やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、鏡と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

『聖書 新共同訳』
©共同訳聖書実行委員会
Executive Comittee of The Common Bible Translation
©日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987, 1988

古本屋の日記 2012年3月27日